山中ちゃんのこと
鬼哭谷修行場で過ごすようになって早二ヶ月。今回はPRエージェンシー一員としての報告よりも、ここは一つ山中敬子嬢にスポットを当てて書いてみようと思う。
山中敬子嬢は、私達の内内では山中ちゃんと呼ばれている。大の大人をつかまえて山中ちゃん呼ばわりはあんまりだが、山中ちゃんは山中ちゃんと呼ばれるに値するパッとしない感じが、とても山中ちゃんらしいのだ。二言目には「こんな修行、もうやめたい」。幸の薄そうな、簡単に悪い男に引っ掛かりそうな微笑。すぐ息が上がって教官に竹刀でしばかれるヘタレっぷり。どれを取っても山中ちゃんである。
そんな彼女だが、実は私達の修行組よりも早くに鬼哭谷に来ており、何と最優秀ホルダーの紋章持ちでもある。とてもそうは見えないが。
何でも以前の鬼哭谷の修行は、ずっとまともだったらしい。それがアナスタシアの命令一下、今みたいなリアルお笑いウルトラクイズへと変貌してしまった。ほとほと愛想が尽きた彼女は鬼哭谷からの脱走を図るも、あっさりとアナスタシアに連れ戻されるという体たらく。そうして今のように諦念に苛まれた人間の見本の如くなったという次第だ。
気持ちは分かる。
確かに修行というのは楽であるはずがない。己の肉体と精神を極限まで引き伸ばしてこそ、修行をやる意味がある。しかし、それが原因で死んでしまっては元も子も無くなるのだ。
私達の修行は、実は修行ではないのだろうか。 と、山中ちゃんは考えているし、私自身も最近そう思うようになった。
鬼哭谷のこれは修行ではない。単に紋章持ちの素養者を振るいにかけているだけだ。だから振るい落とされた者がどうなろうと知らぬ存ぜぬ。そういうからくりは私の相方である鷹乃瞳がとっくに見抜いていたが、それでも私はここに期待したい気持ちが少しはある。
先日恣意的な事故で修行者三人が火達磨になるという、当事者にとっては洒落にならない出来事があった。この時、あの無体な男であるコンドラチェンコ教官は、何とか火を消し止めようと消火器で奮闘している。要らない人間なら放っておく事も出来ただろうが、修行者を助けようと考える向きはある訳だ。たとえ上の考えが、180度異なる方針であったとしても。
山中ちゃんは、今日も死なない為に何となく頑張っている。何れ彼女が溌剌と拳術の修練に打ち込める日が来て欲しいと願うばかりだが、その前に私自身も明日の山中ちゃんにならぬよう、気を引き締めて鬼哭谷の深い所を突いてやりたい。
尚、先の事故では2人の命が失われた。御冥福をお祈りする。
文責:香車仙輔