続報組織をまとめるための理想
墨を流したような暗闇を、灯火も無しにバイクで疾走する感覚。
そう言えば近いのか。
ホリィ・エヴァグリーンの処置を検討する、いわゆる「円卓会議」に対する私の感想は、そんなものだ。
会議がどのように始まり、どのように終るのか、それは初めから判っていた。
しかし、Alexa上層部の考えは私の想定以上に恣意的だった。
「企業」という見地で見れば、そのこと自体はそれほど間違ってはいない。
しかし、Alexaは一つの理想の達成を目指して結成された組織ではなかったのか?
この文言が多分に理想主義的であると言うなら正にその通り。
しかし、国家、人種、文化、言語といった普遍的な共感・シンパシーを持たない組織がまとまるためには、それが善であるか悪であるかの判断は別にして、普遍的な理想を持たなくてはならないのも事実だ。
また別の見方として、理想に到達するためには様々な方法があり、その方便としてAlexaを代表する系列会社の代表が恣意的になるのも仕方がないかも知れないだろう。
ではホリィ・エヴァグリーンの提案である「<黒>を倒す手段を得るために、始祖を発見する」。これをどう捉えるのか。
実は、恣意的な捉えようなどないのだ。
ホリィが多少の駆け引きをしていることなど大した問題ではない。
前回の報告書にも書いたように、地返村の<赤>を救済することは、Alexaの基本理念に適った行為に過ぎない。ホリィを慕っていることも問題ではない。
慕うどころか積極的に敵対行為を繰り返す<赤>。それもAlexa社員が為した行いでさえ容認したではないか。
この懸案に対する答えは、ホリィの提案を認めるか認めないか2つに1つしかない。
そしてその提案は、Alexaの理想を実現する事に他ならない。
それに対して恣意的であるということは、即ちホリィの提案を私する意志があるということになる。
内部の事情如何を問わない。理想の実現のために結成された組織は、理想にのみ殉ずるべきだ。
そうでなくては、香港や台湾の黒社会の成立ちと変わるところがない。
私は軍人であった。訳あって軍を辞したが、それでも心持ちは軍人であり続けたいと思っている。
軍人にとって使命は絶対だが、それを下達する組織が恣意的ではそれもままならない。
それでもなお命を懸けるに値する使命を得たいものだ。
文責:弓月亮介