Even song

 

lindy

 


■深夜の連絡

ロシアの冬は寒い。

外でじっとしているとそれだけで手足の指先が痺れてくる。厚手のマフラーを巻いていてもわずかな隙間から北風が刺し込んでくるようだ。

それでも、ユージン・コワルスキーは外で携帯電話を手にしていた。電源に限りがあるためにできるだけ電波状況のよい場所を選ばなければならず、それでもわずかな音も聞き逃さないように、空いた片手はもう一方の耳を塞ぐ。遠く日本にいる弓月亮介の連絡では、こうやって話すのがいつのまにか習慣になってしまっていた。

「何! …それは本当のことなのか」

「残念だがな…」

 

リューリク宇宙基地。

コワルスキーが戻ってきたころ、宇宙船修復メンバーは、大きな疲労と同じくらい大きな気概がバランスを取り合ったように、皆めいめいに休憩を取っていた。

「あ、おかえりなさい。谷のほうはどうだったの?」

 屠龍隼(とりゅう・じゅん)は煤の跡をつけた頬をそのままに、ニッコリ笑って訪ねた。

 そう言えば今日はエンジン周りだったか。朝のミーティングを彼は思い出した。もちろん重要部分はメカニックの知識のあるスタッフがやるのだが、彼らの負担を少しでも下げて、実践的な知識を得るために隼は自ら進んで、あちこちを走り回って、折りあるときに仲間を手伝っていた。トレードマークのサイドポニーテールを動きやすいようにアップに結い上げて、作業着姿で基地を走り回る姿を見ない日はない。

「屠龍。ちょっといいか? ボスからの連絡があったが…」

 コワルスキーが基地の外を手招きする。

「う、うん」

 怪訝な顔をしながら、よっこいしょと腰を上げた隼だった。

 

 基地の建物から外に出て。

 コワルスキーは彼女の気配を背中で感じたまま、数秒、迷った。

 彼は、この年齢以上に純粋な少女が、谷からの知らせをいつも楽しみにしているのを知っていたからだ。まあ、丸々ひと月以上も何の娯楽もない隔絶された基地にいると思えば、軍隊でシゴかれた経験を持つ人間ならいざ知らず、十代半ばの子供が何かしがの気晴らしが欲しくなるのも理解はできる。

仕事以上の話はあまりしない亮介相手でも、少しでも誰のことでもいいから教えてと電話を奪いかねないだったのだ。数日前にソーニャ・プリセツカヤという少女の名前が出たときは飛び上がったくらいだ。

「ねえ、どうしかしたんですか?」

 この一ヶ月でかなりうまくなったロシア語で訊ねる彼女に、谷の悪い知らせ…それも人の死ということを。

 彼は首を振った。いつかは伝えなければならないことなのだ。現実から逃げていても仕方あるまいに。

 振り向いて、一言目を話す。

「屠龍。悪い知らせがある」

 彼女の周りの空気が止まった。

 

■仲間の死

「な、何なんですか?! いったい! まさか谷で?」

 無言で頷く。

コワルスキーは、コンドラチェンコ教官をつてとしたアナスタシアロアドをロシア国内で捜索してパトロンにするという行動が難航していることは既に隼に伝えていた。とっさに""ということになるあたり、やはり侮れない。弓月がロシアに送るだけの人材であるということか。

「谷で何があったんですか? まさか瞳姉ちゃんや仙輔さんが?!」

「いや、二人は生きてる」

 隼の幼い顔が強張る。これでは他に誰かが死んだ、と言っているようなものではないか。

「中里拓真Vスリー…君と、芦屋完人氏、それと、マーハ・リーが敵にやられた」

 彼はつとめて冷静に、淡々と鬼哭谷でのその月の惨状をありのままに伝えた。

「え…?」

 喉の奥から漏れ出るような声が、隼の口から漏れる。

 二人の視線が空中で止まる。

 

 ほんの数秒もなかった沈黙を破るように、その意味を理解した隼が、叫ぶ。

「そんな!!」

 両手を目の前に持って、何かを手にしようとするかのように、所在なげに手のひらを動かして。

「間違いとか、誤報とかの可能性はないのっ!」

「弓月の情報において、それはありえない」

 確証のない情報はなるべく当てにしない、あるいは情報の確実性をどれだけかを計ってから伝える、元軍人の弓月のそういった態度に、コワルスキーは全面的な信頼を置いていた。

 だからこそ、この悪い知らせ、真実だと言い切れた。

「そんな…」

 目の前の隼が、俯く。

「そんなのってないよ!!!」

 大き目の黒い瞳に大粒の涙を浮かべて、ほろり、と両頬からこぼれ落ちた。

 目の前の少女が、一歩、二歩、彼に歩み寄った。

大柄な彼に掴みかかろうとして、力がまったく入っていない両手で、服を掴む。

「嘘だって言ってよ。あたしがいなくなった間に、谷がそんなことになったなんて、あたしは何もできなかったってことなの…?」

 コワルスキーは戸惑った。歴戦の軍人である彼でも、目の前で女の子に泣かれるなんて経験したことがなかった。

ただ肩を震わせて粛然と泣く少女に、どんな声を掛けたらいいのかと。

 

■谷で

見通しの良い、広い砂漠で、二人はどちらが言うともなく腰掛けた。

「あたしはあの谷に来た時期が遅かったから、あまり話をしたことはなかったんだけれど」

 そう前置きをしながら、話し出した。

「中里拓真Vスリー君…は谷で、ね。そんなに色々話したわけじゃないけど。谷でその、10代くらいの子って、あまりいなかったし、あたしにソーニャと彼くらいしかいなかったから、修行や組み手とか、近くなるんだ」

「ふむ」

 それはコワルスキーにも理解できた。軍でも、閉鎖された環境の中で、歳が近い、郷里が近い、などでお互い打ち解けることもあるものだ。

「あの子は、いつも"弟の無念を晴らしたい。なんで弟が死ななければいけなかったのかを突き止めたい"って言っていた。谷に来て、他の人から弟さんのことを聞いてから、自分でいろいろ調べてたみたい。前に一度だけ、あの子の名前をあたしがからかったことがあってね。本気で怒られちゃった」

 乾いた笑い。悔恨が、遣り残したことがある、苦々しい笑顔だった。

「そうか…」

「芦屋さんは…あの人は気づいてくれなかったけど、多分前に一度だけ会ったことあるはず…」

 伸びた髪の毛を無造作に縛って、顔の髭もこれまた無造作に、最低限に剃っただけの彼の姿を思い出しながら、隼は呟いた。

 それはもう数年前。彼女の姉、疾風(はやて)が女子プロレスラーとして全国を回っているころのことを。総合格闘系の団体に入っていた彼を見かけたときのことを、何度も目を閉じたり開いたりしながら、思い出していた。

「と、言ってもお姉ちゃんと戦ったわけじゃないけどね。でも雰囲気が同じだったから、あ、この人だって。近寄りがたいところも一緒だったな」

 修行場には、わずか一ヶ月しかいなかった。その間にも、彼だけは「迷鳥」には訪れなかった。わずかな食料を黙々と食し、足りなければ木の実などを独りで探して補い、ただ鍛錬の間だけ、他の修行者と共に過ごす。誰かと打ち解けることはほとんどなく、ひとりのときも食事と急速のときは、ただストレッチや、修行中に痛めた身体のあちこちを自分で手当てしているだけだった。

「きっと、何かあったんだと思うよ」

 常に何かを追い求めるように戦い、自らを高めようと独りで鍛錬を続けてきた彼に、もう話をすることもかなわない。

 風が、荒野をひゅう、と吹きぬけた。二人は思わず首をすくめた。

「マーハはね。いつも仙輔さんと一緒にいたけど…」

 彼女の何に驚いたといって、その流暢な関西弁のインパクトの他はなかった。

 少なくともマーハは、隼にとってのフェリオンとは何かという知識。美しき生きた屍、ロアドにドレーガと戦う力を付与する魔人形、という先入観を打ち破った。

「マーハの駄洒落はね…寒いようなあったかいような変な感じなの。ああ、実際に聞いてみないと分からないよね。ごめん」

 その場を笑わせる気の利いた洒落と、その場を凍らせる寒いギャグの両方が、どっちに転ぶか分からないタイミングで繰り出される。多分、仙輔さんが他の誰でもなく彼女を選んだのは、そこに惹かれたのかもしれない。

「まさかもう話せないなんて」

 コワルスキーは石のように押し黙ったままだった。正直、見ず知らずの人間のことを言われても分からない。ただ、分かるのはこの少女が仲間の死を悲しんで、何か言葉を言わなければいられない状態だという、それだけ。

「こんなことなら、もっと話をしておけば良かった…」

 

■空へ

 何もない空を見上げる。薄く白い雲だけが見える。

「親しかったのか?」

 話が途切れたときに、彼からの一言。

 無言で、力なく。

「親しくないと、泣いちゃいけない?」

 

 笑おうと思って、顔を笑みの形にしようとして、でもしかめっつらにしかならない。頬に涙の筋を張り付かせて何か言いたくてもうまく言葉にできない。

はじめてだったのだ。仲間、身内、見知った人を失う寂しさを知るのは。

 顔を上げているだけで耐え切れずに俯く。

「ごめんなさい」

 呟く。

「ごめんなさい」

 何もできなかった。

「ごめんなさい」

 彼らはどう思うだろうか。

 

 だだっぴろいロシアの砂漠を、泣き声のような風が吹きぬける。

この風は日本の鬼哭谷にも吹いた風だろうか。この空気は彼らが呼吸した何億分の一も混じっているのだろうか。

「あの谷では、たとえ事故で死んでしまった人にも、骨も残らないって聞いたわ。そんなのってひどい。家族にも伝えられないなんて…。でも、今のあたしにできるのは、せめてあの人たちの死を悼んで、泣くことしかできないもの」

隼はしくしくと泣いた。

それがもしも意味のないものであったとしても、それでも隼はしくしくと泣いた。

 コワルスキーは黙ってそばにいた。

 

 やがて、少女のしゃくりあげる声が止まって。

「もうひとつ、あるだろう?」

 コワルスキーは低く、呟いた。

「…うん」

 隼も低く、頷いた。

「必ず」

 

 サングラスを掛けた無骨な彼の顔が上を向いた。

続いて童顔の黒髪の少女も、顔を上げた。空が見える。

 否。この空のもっと向こうにある場所。

 みんなで行くはずだった場所が。

 

「無駄になんかしない。するもんか。絶対に」

 必ず行く。ここで終わるわけには行かない。留まるわけにはいかない。

 忘れるわけにはいかない。彼らが戦ったことを。彼らのおかげで戦えたことを。

 生きた人間がそれを証明しなければどうするのか。

 

隼は立ち上がった。

右手の袖で涙をごしごしと擦って。赤くなった目をしばたたかせて。それでも、基地に向かって大きく一歩を踏み出した。

「やらなくちゃ…。やることは山ほどあるんだから」

彼女の後姿を見届けてコワルスキーも歩き出す。

「そうだな」

彼は既に次の戦いに向けて頭を働かせていた。敵はこの基地にも戦力を差し向けてくるかもしれない。負けるわけにはいかない。そのためには少ない戦力でここを守らなければならない。乏しい人員で効率を考えなければならないのだ。

でも、それでも何としてもやりとげる気概はあった。

「(あの嬢ちゃんの想いがうつったかな)」

 ざくり、と軍用ブーツが砂利を踏みしめる音を立てた。

 

 基地の周りに一陣の風が吹いた。

 施設の金属柵を吹きぬけ、口笛のように高く響いたその音は、まるで親しげな口笛のようだった。

 

fin

 

【おしらせ】

・中里拓真V3さん、芦谷完人さん、マーハ・リーさん。皆様のご冥福をお祈りいたします。

・このプライベートリアクションは、第7回RA中の屠龍隼の周囲の出来事によるものです。

・中里さん、芦谷さん、マーハさん。このプラリア中で、なるべくイメージを損ねないように描写したつもりですが、間違っていたら申し訳ありません。

・タイトルの名前はYESのアルバム"UNION"の曲から取りました。非常に短いインストゥルメンタル曲なのですが、何だか寂しそうな、それでいて何かを訴えたがっているような「何処か荘重で真摯な雰囲気の、曲になる前の何かの想い感じがする」どことなく印象的なフレーズだったので、選びました。

・それではまた。

 

 

 

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