山本圭介
突然、弓月亮介は言った。
「突然だが香車仙輔、お前にはガッカリしてもらおう」
俺は耳を疑ったね。なに言ってんだ、このおっさんは?
「まあいい。やれ! 翔、クリス、隼!」
『はーい!』
おっさんに呼ばれるなり、御子神翔、クリス・スカイフィールド、屠龍隼が馬鹿みたいな笑顔で俺の元へ駆け寄ってきた。
何が楽しいのか三人とも、本当に嬉しそうに笑っている。
いや、そうじゃねえ。その笑顔は、どこか貼り付けたような笑顔。脳内物質の作用のみで笑っているような、虚ろな笑みだった。
窓の外は霧が立ち籠めたように真っ白で何も見えない。
『せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪』
そして、そ〜れ!とばかりに妙な節を付けて歌いながら俺の周りを踊り出した!
「おい、やめろ! 気色悪いぞ!」
貼り付けたような笑みを浮かべ、三人はクルクルと踊る。
『せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪』
これが知らねえ野郎共ならブチのめして止めるところだが、この娘達じゃそうはいかない。
どうするべきか考えあぐねる俺を、弓月のおっさんは見つめていた。その視線は鋭く、冷静だった。
「おい仙輔。お前、自分が何か変わったと思わないか?」
「なにを……」
言いかけ、気付いた。何だ、この声は……まるで女みたいじゃないか!
「「みたい」じゃねえ。女なんだ」
なにを馬鹿なことを!
「仙輔、落ち着いて聞いて」
振り返ると、鷹乃瞳が静かに立っていた。
しかし、どこか変だ。瞳はこんなに大きかったか?
俺と瞳の身長差は約30p。この距離で喋れば必ず俺が瞳を見下ろす格好になる。
瞳はそれが嫌なのか、いつも挑むような視線で俺を見る。
それなのに、今の瞳の視線は愁いを帯びて哀しそうだった。
それに何より、なぜ俺が瞳を見上げるんだ?
「落ち着いて聞いて。あなたは、殺されたの。アナスタシアの身体を乗っ取った後舁に心臓を引き裂かれて」
な、なに!?
いつの間にか、翔達も踊るのをやめて俺を見つめていた。
「後舁はあなたをドレーガにしようとしたけど、あなたはドレーガにはなれなかった。あたし達は遙蒙の協力を得て、フェリオンの身体にあなたの精神を移したのよ」
なにを言ってるんだ。冗談にも程がある!
俺はそう怒鳴りたかった。しかし、喉から漏れる声は女の声。振り上げた腕はか細く、胸を触ればうっすらと脹らんでいた。
「キツイ冗談は抜きにしようぜ。俺は今、椅子に座っているんだ。だから瞳の方が高く見える。そうに違いない。うん、俺は冷静だ」
「冷静になるのは君だ」
心胆を寒からしめる冷静極まる声。この声は…
「母さん!」
そこにいたのは確かに香車蒼怜だった。俺の母親にして形意拳の師父でもある。
「弓月殿に呼ばれた。よもやそのような姿の君と対面するとは思いもよらなかった…」
母さんは、一言話す事に威圧感が強まった。
しかし、それは覇気とは違っていた。覇気とは違う別の感情が母さんを突き動かそうとするのを、全身で留めている。それが威圧感となって伝わってきたのだ。
「ごめんね。でも、おばさんには言わないわけにはいかなかったのよ」
近寄った瞳の目には涙が溜っていた。
その一滴が頬を伝って俺の手に落ちた。
暖かい。
母さんの威圧感。瞳の涙。全ての感覚が、俺にこれが現実だと囁いてくる。
しかし、本当にそうなのか。俺はアーグニャの警護と、遙蒙が裏切った際に備えていたはずだ。
その時、俺の脳裏に閃くものがあった。
「わかった! こいつは夢だ!」
おっさんを始め、瞳や母さんはじっと俺を見つめている。
「大体、この場に翔やクリス、隼がいるわけがない。だからこれは夢だ。いや、凝った夢を見てるぜ、俺もよ。わはははははは!」
俺の心は安堵感に包まれ、爆笑しちゃったよ、まったく。
そんな俺の肩を山鳥崇子が触れた。
「貴方は今、錯乱していますわ」
「仲間が危機に立っているのに駆けつけないわけがないでしょう?」
傍らに立つ立花里沙もそう言う。
「そんな訳がない! これは夢なんだ! 絶対に夢だ!」
「今は休め、そしてゆっくりでいい、現実を受け止めろ」
「そうよ。新しい身体に馴染むには時間がかかると思うけど、つきあってあげるから」
「わたくしもドクターとして最後まで付き合いますわ」
「心を強くしないと、身体も良くならないよ」
「私が請け合おう。君にはできる」
やめろ、やめてくれ!
これが夢だという確信があるのに、頬をつねっても痛いし、何もかもが現実のように感じる。
『せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪』
やめろ! そんな歌を歌うな!
誰か俺を助けてくれ! 俺を現実に引き戻してくれ!
空に、大きな目玉が浮いている。
いや、違う。あれは……あれは……そうだ。屋根の木の節だ。
俺の寝床の真上に大きな木の節があって、どうにもそれが何かの目玉のように見えてならなかった。
ということは、ここは『迷鳥』か。
そこまで思考がたどり着いて、俺は大きく息をついた。
やはり、夢だったか。
それにしても凝った夢を見たものだ。
瞳の涙の暖かさ。あの感触が今も手に残っている。
あんなにリアルに感じる夢があるのか。正直驚いた。
ともかく夢で良かった。
恐らく疲れているんだろう。この鬼哭谷に来て、変則的な生活が続いていたからな。
時間は何時だ?
俺は時計を見ようと思い、寝床から抜け出した。
その時、気付いた。
弓月おっさんが、俺を見ていた。
その視線は鋭く、冷静だった。
そして、言った。
「突然だが香車仙輔、お前にはガッカリしてもらおう」
「待て! 俺は目が覚めたはずだ。あれは夢だったはずだ!」
「何を言っているのか解らないな。まあいい。やれ! 翔、クリス、隼!」
『はーい!』
おっさんに呼ばれるなり、御子神翔、クリス・スカイフィールド、屠龍隼が馬鹿みたいな笑顔で俺の元へ駆け寄ってきた。
何が楽しいのか三人とも、本当に嬉しそうに笑っている。
これは……
『せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪ せんすけはガッカリす〜る〜♪』
三人が妙な節を付けて歌いながら俺の周りを踊り出した。
その歌を聞きながら、俺は天を仰いでつぶやいた。
「夢なら早く醒めてくれ……」
それに答えてくれる者は誰もなく、
窓の外は霧で真っ白だった。
〈了〉
[あとがき]
いや、悪夢の基本はやっぱり繰り返しですね。
妙な夢は私も見る方で、どこから見ても現実に感じる夢を見たときは、恐ろしかったですよ。
降ってくる雨の感触、濡れて少し埃っぽい匂いがするアスファルト、自分を気遣ってくれる周囲の人たち(中には、「病院に行った方がいいんじゃない」なんて言ってくれたり)、しかし、電柱に書かれた地番を見ると、こんな場所はあり得ないという、地名です。
怖かったですよ。自分がどうかしているのか、それとも本当に夢なのか、区別が付かなくて。
ではでは、再見!