虎視眈々

 

 

 


 歌っている奴が上手かろうがそうでなかろうが、俺はカラオケが嫌いだ。カラオケにはどんな形にせよ「何が何でも人に聞かせる」強制力が働いており、それはどういう訳か拒否する方がおかしい、という雰囲気がある。で、カラオケに誘われて断ると、満場一致で付き合いの悪い奴って事になる。場の読めねぇ奴とかな。トーシロの歌声を聞くのも、歌ってる傍から曲目をぺらぺら捲るのも、「え、平田さんて浜崎あゆみ知らないんですか」とか言われるのも、俺には時間の浪費としか思えないが、そういう時間を大事に出来る奴がいる事は理解する。理解するから、俺みたいな奴の事は放っといてくれよと心底思っている。あの死体女に会った後でもな。

『カラオケが連れて行かれてくれましょう?』

 日暮の頃合から起き出した、ボルカ・ボストーカによる今日の開口一番がコレだ。カラオケに連れて行ってくれませんか、と言っている。この女はテンションの高さと日本語の破壊が正比例しやがる。

 普通なら断るさ。断るんだが、俺は不図思った。ボーリャの声は、控えめに言っても鳥の囀りのように美しい。この美しい声でぴちがい気味の発言を繰り返す訳だが、少なくとも歌詞に沿う分には清らかな発声だけを楽しめるかもしれない。ボルカワールドに巻き込まれて頭が溶ける事は無いかもしれない。俺は何時もそうだ。どんなに心が不安を感じても、面白げな雰囲気にはコロっと負けてしまう。こいつの歌声は、俺の心を洗ってくれるんじゃねえかってさ。内職2日分の給金を飛ばして、連れてってやったよ。カラオケ屋。そして実際に洗われたのは、俺の脳味噌だった。

 今、カラオケボックスの中。俺の目の前ではボーリャが小指を立てて熱唱してやがる。何か知らんが空いた手には、仏壇でまんまんちゃんの時に使うカネの打楽器()が握られている。間奏の際はこれを一気に叩き出す訳だ。いや、訳だって言われても。曲目は、個人的に日本で最も美しい歌の一つだと思う、山口百恵の「いい日旅立ち」。前のマスターが百恵ファンだったんだとよ。けだし名曲だよな。どう考えても。しかしこの素晴らしい曲も、あの死体女が歌うとさあ大変。何処か違う世界へ旅立ちそうだ。下手下手下手。物凄え下手。出だしからして、もう狂気だ。さっき俺が褒めた鳥の囀りはどうした。音程を外すとか歌詞を間違えるとか、そんなレベルじゃねえよ。ちょっとは画面上の歌詞を追ってみろよ。そのBGMは一体何の為に流れているんだよ。そして差し迫ってきた、いよいよサビの部分。

「うごおおおあああぁ」

『嗚呼、日本の何処かに』の『嗚呼』の箇所を、頭の中で無理矢理言葉に変換してみました。言葉というよりは獣の咆哮だ。つうか耳を塞いでも頭骨にビリビリ響きやがる。俺の鼓膜を裂いて脳を飛び散らそうって腹か。だったら負けねえ。あのイカレ声を打ち消すには、こちらも奴を上回る大音声で絶叫するしかねえ。うわあああ。負けるもんか。うひゃああああ。

「どうしましたか、ヤスオ。頭の中が大変な事になりましたか」

 あ。と、俺は耳を塞いでいた両手を下げ、鼻面に迫るボーリャを見、既に電気が落とされているモニタも見た。何時の間にか際限無く悲鳴をあげていたらしい。歌声一発で人の心を破壊しようたぁ恐ろしい女だ。フウと息つき、ボーリャが顔を離して、俺の隣に腰を下ろして曰く。

「最近失敗続きで心をお病みの御様子」

 お前に言われたくねえ。

「気晴らしのカラオケも楽しまれない模様」

 楽しめないのはお前のせいだ。

「矢張りここは本来の目的に戻らねばなりますまい。秘密の会合はカラオケボックスと相場は決まっておりますので、これより秘密の会合を行ないたいのであります」

 またいらん知識を何処で手に入れたのかは知らないが、秘密の会合というのは、次に俺達がどう動くかを決定する為の話し合いである。一応俺達も裏の世界の人間なんでね。尤も秘密も何も、そんな大した事を話し合う訳ではないけどな。

 ボーリャはマイクを持ったままソファに座し、じっと見詰めるようでいて明後日に向かっている瞳を俺にくれ、エコーを響かせて一言。

「このへにゃちん野郎」

 俺は飲んでいたビールを噴いた。

「ペット殺害事件が発生してから早四ヶ月目。今に至るも私達は事件解決に向けて全く貢献出来ず、先月などは遂に一ヶ月を内職のみで過ごす体たらく。既にアレクサ側からは私達の存在を忘れ去られ、今現在動いている動機はと言えばゴールドにもならない意地。これをヘタレと言わずんば何と言いますか?」

 何だ何だ。今日はどういうキャラクタ設定だ? 話の内容は耳に痛い事ばかりだが、それよりもボーリャが何を考えて毒舌を効かせているのかが分からん。お前、内職作業を俺よりエンジョイしている風だったじゃねえか。まあ、何を考えてるのか分からんのは何時もの事だがな。

 と、いきなりボーリャが体を寄せた。思わず仰け反る俺に、構わず肩に手を置いてくる。口元から悪甘い、何とも嫌な匂いが漂ってきやがった。

「あの獣使いという女、いっそ殺してしまいましょうよ」

 何を言いやがるこの女は。と言うか口調が丸きり変わってんじゃねえか。

「私達の異能と言うのは、つまり殺す為の力です。ドレーガの記憶を殺し、ロアドの肉体を殺す。敢えてあなたは、この異能を補助としてしか使って来ませんでしたが、これを全開にすれば事は簡単なのですよ。あの程度の女、私が楽に殺して差し上げます。さすればかように瑣末な事件は終わりを告げましょう。如何ですか、我が主。あなたの決断さえあれば」

 いや、それはどうだろうな。と、俺は答えていた。ボーリャが異様な台詞を言えば言う程、段々と心が落ち着いてくるのがとても不思議だ。

 あの獣使いという女が動かずとも殺害事件は続いている。要は獣使いとやらは、きっかけでしかないって事だ。あの女をどうこうして片付く程、単純な事件じゃない。しかしそれよりも、どうして俺がこの異能を使って殺しをやらなきゃならんのだ。確かにドレーガやらロアドやらをどうにでも出来るかもしれんが、俺は黄金の朝が何かを殺さなければならないなんて聞いちゃいないぜ。だから俺は殺しなんてやらない。黄金の朝としては邪道だとしても、それが俺のやり方なんだよ。

「では、あの女をどうなさると言うのですか?」

 直接話す。そして何故そうしたかを聞く。俺達や他の連中も含めて、獣使いの狙いが何だったのかを分かっちゃいねえ。まずはそこから仕切り直す。そうしたら、何か新しいやり方が見えるかもしれねえって事さ。

「それも攻めの姿勢でありましょうか」

 そうだ。殴り合いだけがアグレッシブって訳じゃねえ。

「左様ですか。ヤスオの心構えがポジティブ方面と知って、私、ボーリャも一安心といった所であります」

 ボーリャの奴、普段の口調に戻りやがったぞ。まさか、俺のやる気を鼓舞しようと、一芝居打ったって事か? だとしたら相変わらず底の知れない女だが、やっぱり別段何も考えてないのかもしれねえな。なんせボルカ・ボストーカだからな。

 ともあれ、腹は括った。俺は獣使いという危険な女と、直接の会話を試みる。何せ奴には一度、一方的攻撃を仕掛けているから、まともな話し合いは出来ない可能性が高い。しかし、それでもいい。今迄とは違う手段を見出すってのが今回は大事なんだ。そういう方向転換が出来る気持ちになれたってだけで、俺にとっては御の字な訳だ。

「ところで私は、次回どうしたら良いのでありますか」

 外で待ってろ。それも気を付けの姿勢のままだ。

 

<続>

 

 

 

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