山本圭介
事の発端は、ADR系子会社『PRエージェンシー』事務所で無聊を持て余すように3時の休憩をしていた鷹乃瞳の一言からだった。
「ねぇ仙輔、アナスタシアってクマちゃんパンツなんか穿いているのかな?」
瞳の突然の問いに、香車仙輔は口に含んでいた玄米抹茶をぶーっと吹き出した。
「ぎゃあ! 書きかけの報告者がっ!」
同僚の叫びを無視して、仙輔は首を左90度旋回させ、瞳を見つめる。
なんだかぎこちない、ロボットのような動きだ。瞳を凝視するその目は明らかに驚愕に見開かれている。
アナスタシアと言えば泣く子も実力で黙らせる武闘派で知られたドレーガだ。『厄災の娘』の異名を以って知られ、勇猛と果敢を美徳とし、強者をこそを愛しむ。そんなアナスタシアがクマちゃんパンツを穿いていると想像するとは!?
「瞳。お前、疲れてんのか?」
「ん? 別に。普通だけど?」
「んなことねえよ。最近、色々あったからな。疲れてんなら、早退届け俺が出しておくからよ」
ちなみに『PRエージェンシー』代表の弓月亮介はADR本社に出掛けていていない。
「だから違うって!」
「じゃあ何だって突然…」
「想像しただけよ。アナスタシアの写真、あなたも見たことがあるでしょ?」
「まあな。どうこう言っても、俺んとこの血統庇護ドレーガだからな」
基本的にドレーガは記念写真など撮ることはないが、それでも稀に溺愛するロアドと写真を写すことがない訳ではない。
アナスタシアの姿もそうした家系に伝わる写真がAlexaに収集され、リストとして系列企業に配布されている。
アナスタシアの姿から受ける印象と言えば、畏怖される異名とも相まって、峻厳、苛烈、冷酷、女傑といった言葉に集約されるだろう。
「でもさ、彼女のアイパッチ。クマちゃんのマークがついてるじゃない」
「ああ、そうだな」
ドレーガにされる以前の傷かどうかは定かではないが、アナスタシアは左目にアイパッチをしていて、それには必ず『王冠を被った熊』のマークが描かれている。熊といっても厳ついものではない。『クマちゃん』と呼んだ方が似合う可愛らしいものだ。
「だから、ああ見えてアナスタシアも可愛い物好きだったりして、パンツもクマちゃんプリントのだったりってって、ふと思ったのよ」
「なるほど」
仙輔は納得した。
瞳もアナスタシアほどではないにせよ、凛々しい雰囲気と相まって男勝りという印象が強い(そしてそれは事実である)。それでいて、実は家事が得意だったりする。
これまでにどれほどの者がエプロン姿の瞳の手料理を見て驚愕を隠しきれず、はっ倒されたことか。
「同病相哀れむという奴か。納得したぜ」
仙輔はひとり深く頷いた。
「誰が同病だってぇ?」
こめかみにごつりと当たる冷たい鉄の感触。
瞳の右肩上がりな口調が素晴らしく怖い。
仙輔の大脳は全身に「防御専念」を発令した。武道家の両親を持つ仙輔にとって、拳を使えない状況での女性との戦いは敗北必至という結論を、父の姿と自身の経験によって会得している。
「いやまあ、ほれ、聞き間違いだ。同病じゃなくて、敵を知って我を知るというか、似た者同士というか……」
うおおお! なに言ってんだ俺のボキャブラリー! 全然フォローになってねぇぞっ!
結論。大男、総身に知恵は回りかね。
焦る仙輔を見て、瞳は息をついた。
右手に握ったモーゼルには、もちろん弾は入っていない。でもプロはそういう銃の使い方しないけどね。
「ま、いいわ。それなら仙輔。あなたならアナスタシアはどんな下着を着けていると思う?」
「そりゃあよ、こう、黒のレースの付いたような大人っぽい…」
「なるほど。仙輔はそういうのが好きなんだ」
「俺の趣味じゃねえ!」
どうして俺は昼の会社で幼馴染の女性同僚を相手にこんな話をしているんだ?
仙輔は地面に穴を掘って叫びたくなった。
「じゃあ、賭けましょうか?」
瞳はにんまり笑った。
「いや、無理だろ」
瞳に皆を言わせず仙輔は即答した。
「人の話は最後まで聞きなさいよ」
「どうせ、確かめて見ようってんだろ。無理だ。大体アナスタシアの居場所は分からない」
「うー」
瞳が不満顔で唸った時、声がかかった。
「いや。そうでもねぇぜ」
口元に皮肉な笑みを湛えた無精髭の男。
「ボス。帰ったんですか?」
「おう。たった今な」
『ボス』ことPRエージェンシー代表・弓月亮介はどこか嬉しそうに応えた。手にした書類を放ってよこす。
瞳は黙って書類を開いた。
「ん〜ふふふふふふ」
読み進むうちに笑みが広がる。
「アナスタシア。日本にいるんだって」
「なに!?」
仙輔は瞳から書類を受け取った。
鬼哭谷に作られた研修所。いや修行場。無茶な訓練内容の数々。挑戦者。潜入者。そしてアナスタシア。
「ボス、これは仕事か?」
仙輔は、亮介を真っ直ぐ見つめて訊いた。
PRエージェンシーの主業務は「未確認情報に対しメンバーを派遣して情報を確定する」こととしている。つまり、「未確認情報」は飯の種というわけだ。
「いや。まだだ。しかし、Alexa上層部はアナスタシアの危険度ランク変更の考慮も含め、現地の情報を欲している」
亮介はそこで言葉を切ってニヤリと笑った。
「うちの親会社(ADR)も含め、商売相手はいくらでもいるぜ」
その言葉を聞いて、仙輔と瞳も口元で笑う。
「この仕事、請けた!」
「そうね」
鬼哭谷研修所の調査は半端な力では対応できない。アナスタシアのロアドで拳士である仙輔と、銃士で探検家でもある瞳こそ適任だった。しかも二人は幼馴染で息もピッタリ合っている。
「まあ、死なない程度にやってこい」
亮介はそう言って頷いた。
亮介が場を離れると、二人は相談を始めた。
「この訓練は本当に特訓になるの? アナスタシアの悪ふざけってことはない?」
「内容の馬鹿馬鹿しさは別にして、効果はあるだろうぜ。それに、おちゃらけにしちゃあ話がデカすぎるぜ」
「でも変よね。これじゃまるでアナスタシアがAlexa社員を鍛えているようなものじゃない。Alexa社員も受け入れてるし」
「イゾルデ辺りと噛み合わせようって腹じゃねえか?」
「でもアナスタシアって勇猛果敢を旨とするんでしょう? あたしみたいな銃士まで呼び込むなんて、なんだか形振り構わないって感じがしない?」
「そうだな。確かにアナスタシアらしくない」
「結局はアナスタシアの真意を確かめるしかない訳よね」
「優秀な成績を上げればアナスタシアと対面できる。その時がチャンスだぜ」
「クマちゃんパンツを確かめるのもね」
「いや。それは止めてくれ。スカートなんかめくったら瞬殺決定だぜ」
「そう。じゃあ、直接訊いてみるわ。忘れないでよ。あたしはクマちゃんパンツ」
「俺は黒のレースだな。ったく」
「気にしない気にしない。人生に楽しみは必要よ。さて、旅の支度をしなきゃ」
翌日。二人の旅の支度は終わった。
ありきたりな着替えや洗面具といったものは別にして、特徴的なものを挙げると、
仙輔は、東京ジオフロント社のツール、月の輪(熊)ひーろーすーつ☆。
ディドアラのASローマジャージ。
瞳は、シュプレンガー警備保障のツール、セキュリティサービス。
武器として、愛用のモーゼルM712二挺&ショルダーストック兼用ホルスターと通常弾&石油弾。クロスボウ。鏢(中国の槍の穂先のような形の投擲ナイフ)。
中華鍋と調味料といったところだ。
「ねえ。ASローマのジャージって仙輔、サッカーやってないなじゃない」
「この情熱あふれる色使いがいいんだよ。それより瞳、前から訊きたかったんだが、その銃はどうしたんだ?」
「曾爺ちゃんが大陸で使ってたのよ。馬賊だったんだって」
「本当かよ、おい」
「好きな銃が使えるならPSG1とかガリル・スナイパーとか使うって。蔵に眠ってたのを再生パーツ組み込んでライフリング切り直してレストアしたのよ。ストックホルスターは個人輸入ね」
「ほう。で、中華鍋は」
「料理に決まってるでしょ」
「はあ!?」
「向こうじゃ食料争奪も起きてるんでしょ。食堂開いておさんどんやるわよ」
「してその心は?」
「胃袋を制した者に逆らえる者なしっ! あたしの開いた食堂に依存すればするほどあたしに逆らえないって訳よ! 逆らうヤツはガンガン盛りを減らすのみ!」
「鬼か、お前は」
「失礼ね。あり合せの材料で料理ができて、サバイバル技能があって、銃も使える。あたし個人で収めるにはもったいない技能でしょ。心配しなさんなって。仙輔には盛りを多目にしてあげるから」
「そりゃありがたいこって」
「それに、食堂やってれば研修所の人員構成とか、動向とか判りやすいでしょ。敵か味方か判らない連中がごちゃ混ぜなんだから」
「狙いはそれか」
「仙輔はどうするのよ。訓練というか、修行はいつものようにあたしとあなたで遠近連携で切り抜けるんでしょ」
「俺か。俺は、拳で語らってくるぜ」
仙輔は拳を突き上げて熱く語った。
「はい?」
「鬼哭谷研修所の初期入所者はアナスタシアのロアドなんだぜ。同じロアド同士。どれほどの強さか確かめてくる。それには拳と拳で語らうのみっ!」
「……できれば所内の建物の配置とか見ておいて欲しいんだけど」
「ん。覚えてたらやっとくな」
「忘れたら、思い出すまで飯抜きね☆」
瞳はにっこりと笑った。
「いや、それは…」
「ちゃんと、覚えてるわよね」
瞳は、にこやかな笑みを絶やさなかった。
「……はい」
仙輔は、言葉では女に勝てないと深く悟るのだった。
<続く?>
[筆者より]
えー、これが、瞳が鬼哭谷研修所に向かった直接の動機です。
しかし、アナスタシアのスカートめくりは命を賭けることになりそうですな。
状況が進展すれば、また続きを書きたいと思います。