黒井秋彦
香車董子って女はムカつく奴だ。
いや、確かにこちらも悪い所はあった。幾ら何でも落ち合う場所を、夜中の1時に或る高校の校庭で、ってのは非常識にも程がある。しかし俺達には時間が無い。オテル・ド・ブリュメールで起こったバロールって化物の覚醒は、クソドレーガどもにありがちな、全く関係無い人の事など全く関係無ぇと言わんばかりの暴れっぷりだった。正直教授だかバロールだかの争いなんぞ微塵も関わりたくないんだが、微塵も関りの無い人に暴力が振るわれるってのはさ、何て言うか、俺を非常に不愉快にさせるのよ。で、俺には彼らを助けられる力がある。だから助ける。そんなの当たり前だ。でも時間が無い。このまま落ち合って、即行動を起こさなければ。
しかしあの女が俺と相棒のぴちがいフェリオンを見た時の顔というのは、正直腹が立つ。一瞬困ったように眉をひそめて、すぐさま取り繕った笑顔を浮かべ、しかし口元を微妙に曲がらせて、言外に「あらあらコメントしづらい生き物でありますこと」と言わんばかりの雰囲気を醸してやがる。何だってんだ。俺達は同じ人間じゃないか。
ま、その気持ちも分からんではねぇけどな。俺達の格好にもそりゃ問題はある。俺なんざバミューダとランニングシャツ一丁の裸の大将ルックに加えて、片手には槍投げ競技用の槍だ。そして隣のボルカ・ボストーカは、びた一文似合わねぇスコート姿で両手にポンポンときたもんだ。こんなのに深夜の校庭のど真ん中で佇まれた日にゃ、確かに俺なら回れ右かもしれん。しかしながらこの格好には理由がある。それは後述するとして、否、矢張りボーリャのチアリーダーには全く意味が無い。て言うかそんな衣装、何処から手に入れたんだお前。
気を取り直して赤い日の丸が眩しい鉢巻をキリリと締め直し、一つ尊大に出迎えてやろうと胸を張った途端、女は機先を制して丁寧に腰を曲げた。俺は出遅れた。
「電話で話しました、香車董子です。お初にお目にかかります、ボルカさんと平田さん」
顔を上げて足を運び、こちらと付かず離れずの絶妙な間を置いて、董子という女は佇んだ。と言うより、そびえ立った。
デケエ! 何というデカさだ。身長は明らかに180後半。俺だって175cmあるが、これじゃ立ち位置が小学校の先生とボクじゃねぇか。しかもスーツに隠れちゃいるけど、いい筋肉してるぜコイツ。一見可能な限り無駄をそぎ落とした体だが、やけに男らしくて頼もしい肩幅をしてんだ。すげえなあ。というこちらの感嘆を気に留めた様子も無く、涼しい顔で彼女は続けた。
「此度の顛末は社長から伺っております。あの方も事のほか喜んでいましたよ。給料泥棒がようやく仕事をする気になったのかと」
冗談めかした言葉じゃないのは、全く揺るがない視線の強さを見りゃ分かる。言葉の端々に侮蔑の感情ありありだよ。俺も少しムッとして『遊んでいたように思うかもしれないが、それでも犬と猫はきちんと守った』と、よく考えたら言い訳にもなっていない反論を述べるべく気色ばみかけた所で、ボーリャがずずいと前に出た。また俺は出遅れた。
「アマゾネスは御存知でありますか?」
「は?」
出た。ボルカによる『言葉の順序バラバラ』攻撃だ。瞳を爛々と輝かせ、そりゃもう嬉しそうな顔をして。コイツ、まともに人と会話が出来ない癖に社交的なんだよな。香車にはご愁傷様と言うしかない。
「テレンス・ヤング監督作品。おはこんばんちは。大女が沢山出て来て裸でくんずほぐれつとかそういう映画です。どうか可愛くボーリャと呼んで下さいまし。トーコを初めて見た時から黒髪のオレイディアみたくと言いますか、このオレイディアというのはアマゾネス女王の候補の一人でありまして、私の名前はボルカ・ボストーカであります。あらまあトーコはでっかい女でありますこと。まるでアマゾネスのようではありませんか!」
「俺は平田安男だ。よろしく」
俺が取って付けたように挨拶を加えた横で、香車はボルカに手を取られ、ブンブンと握手を強要されてやがる。されるがままにぽかんと口を開けて、二の句が繋げない様はざまあ見ろって感じだが、さて置き俺は話を続けた。
相手は大蛇みてぇな形をした、強力な合成生物だ。しかもドレーガの不死性はそのまんま。おまけに回りを異能使いの道化者で固めてやがる。まともにやり合っていては勝ち目が無い。しかもホールには人質を確保されたままだ。彼等を無傷で救い出すのは至難の業だ。
訥々と俺が話す内に、この仕事の危急を要する程を改めて感じたのだろう。香車も気を取り直したみたいで、頷きながら俺に問うた。
「バロールの能力は?」
知らん。
「配下の道化者は何人居るのですか?」
分からん。
だからそんな顔をすんなってば。眉間に皺を寄せて吊り目を更に吊り上げて、香車は声を張り上げようとしたが、今は深夜の校庭との状況を慮り、控えめに、しかし極めてきついドスを効かせた。
「不真面目にも程があります。敵を知らない。場を知らない。戦を仕掛ける者の心構えが無い。果たしてあなたは勝つ気があるのですか」
兎に角時間が無かった、ってのが情報不足の一応の理由だが、折角応援に来てくれた奴への配慮じゃ無ぇのは尤もな話だ。だから俺はPRエージェンシーへ応援要請を出す際に、対バロールとの直接戦闘による危険性が極めて薄い役回り、それを担ってくれる奴が欲しいと言った。どうも、上手く彼女に俺の意思が伝わってなかったみたいだが。
「でしたら私は何をすれば良いのでしょうか」
主として人質の避難誘導。
「私は戦いに来たのですが」
道化者とは戦いになるだろうが、バロールに仕掛けないよう注意して欲しい。バロールは俺達に任せろ。
香車は俺の言を受けて黙り込んだ。主戦力ではないとされたのが、余程に自尊心を傷つけられたらしい。何と言うか、ボルカとは違った意味で扱いに困る。誇り高いのは結構だが、仕事と己の欲求、どっちが大事なんだよ。そして然程間を置かず切り出した香車の物言いは、こりゃまた凄い代物だった。
「私があなたより弱いとは到底思えません」
さすがに俺も切れた。まずいとは分かっているんだが、罵倒の台詞が次から次へと湧きやがる。お前は一体何をしに来た。後から来た分際で主導権を握ろうたぁいい度胸だ。しかしそんな好戦的な奴は要らない。不満があるならとっとと帰っちまえ。対して香車も怒涛の如く言い返す。戦場に呼んでおいて好戦的な者は要らないとは、どういう冗談ですか。繰り返しますが、私は戦う為に来たのです。あなたの言う役回りは、私にとって適材適所と言えるものではありません。どうどう、落ち着いて。両者ブレークブレーク。って最後のは誰だ。ボルカだ。小声で激しく言い争う俺達の間に割って入り、双方の胸をポンポンでポンと叩く。しまった。ボルカなんぞに仲裁されちまった。いい年こいた大人の癖に、何とも恥ずかしい限りである。
「さて、適材適所と仰いますが」
腰に手を当て首を傾げ、香車を横目に置いたボルカはガラリと口調を変えた。
「トーコは何か対ドレーガ戦の切り札はお持ちですか?」
「それは」
「せいぜい重油とか、その程度のものでしょう」
「…あとは銀製の兵器類を」
「トーコが格闘戦に特化しているのは承知しています。最接近して切り札を用いる能力はおありでしょう。でも、相手は人の形すら留めていない不死生物です。人型相手の格闘術を用いる手合いではありませんね。こう見えても私達は、対ドレーガ戦の特化能力を持つアウスターグです。この状況におきましては、私達があなたより弱いとも到底思えませんが」
何て言うか、容赦無ぇ。ボルカは偶に憑かれたように、理詰めで物を言う時がある。相変わらず訳の分からないフェリオンだ。等と思う内に香車がどんどん萎縮して行くように見えたので、俺は慌ててその場を取り繕った。全く、我ながら人がいいんだか何だか。
まず、ここで優先しなければならないのは人質の命だ。何しろホールには子供もまだ残っている。バロールに仕掛けるのは彼等を無事に逃がす為であり、それ以外にバロールと戦う理由は無い。そう言うと、香車はハタと顔を上げた。命、子供、という単語に強く反応したのが分かる。どうやら、目の前で人死にを見ちまった経験アリなんだろう。
…加えて人質に張り付いている道化者どもを排除する必要もある。出来れば飛び道具を使わずに制圧出来る力を持った奴が事に当たるべきだ。だから香車董子が避難誘導にうってつけって訳だ。と、俺の曰く。
香車の方も口論しながら、頭では止めなければと考えていたらしい。あっさりと協力の旨を俺に告げ、ぺこりと頭を下げた。あ、ちょっと可愛い。
「それで、バロールとはどのように戦うのですか?」
勿論考えてある。それは落ち合う場所を高校の校庭に指定し、山下清&チアリーダーという出で立ちにも密接に絡んでくる話だ。そして俺が胸を張って説明しようとした所で、ボーリャがずずいと前に出た。三度俺は出遅れて、てめえいい加減にしやがれよ。
「ダーナの神話にて、魔眼のバロールを倒したのは誰でありますか?」
「神話の事は良く知りませんが…」
「はい。ルーという神様であります。そしてかのルーが持っていた武器こそが」
言って、ボーリャは白ペンキの短い槍を高々と掲げて見せた訳だ。
「光の槍、ブリューナク!」
単なる競技用の投げ槍だ。ちなみに細かい事を言えば、伝説上じゃブリューナクってのは小石なんかをかっ飛ばすシリングみたいなもんでさ、石が光を帯びて突き抜ける様が槍のようだってんで光の槍とも言われているのであって、決して投げ槍そのものじゃないんだよな。
で、こいつに気の力を纏わせて投擲する。血液記憶破壊効果も勿論折り込むが、加えて気でもって投擲後の方向性をコントロールして命中率を上げるのだ。そうやって狙うのは、バロールの目。どんな動物にも共通するが、神経が露出した一番弱い所ってのは、やっぱ目なんだよ。奴の鱗は如何にも硬そうだが、ここなら槍の一撃でブチ抜けそうじゃないか。ん? そう言やダーナ神話でもバロールは目を突かれたんだっけ。
そういう訳で、俺は高校のグラウンドを借りて、否、不法侵入して槍の投擲を練習していたのだ。しかし俺はジャージなんざ持ってなかったから、練習する為には山下清を甘んじて受け入れなければならなかったのさ。チアリーダーは分からん。と言うか俺は未だにボルカって死体女が分からん。
「果たして上手く行くのでしょうか」
若干声音に不審を込めて、香車が俺に問いかける。だから練習していたんだってば。ま、付け焼刃と言えばその通りなんだが。しかし実際、効果の程を目の当たりにしないと、香車って女は納得してくれないだろう。そういう訳で俺は、くるりと槍を構え直し、一度50m先のバスケットゴールを狙って、其処から体を右斜めに向けた。この方向で放り投げて、ゴールに突き刺せりゃ文句無いだろ。そう言うと、香車は興味深げに頷いて、俺の所作を見詰めた。
「…先程は失礼しました」
何だい、藪から棒に。
「少し気が逸っていたのかもしれません。自分の中で確かな手応えを感じられるような、私は結果が欲しかったのだと。目的を見誤っていました」
…この女の話は聞いた事がある。俺達の会社は東北で社員の一人を失ったのだが、彼女はその時、そいつの直衛をやるはずだったんだとさ。まあ、別に社員が死んだのは香車のせいって事ぁないんだろうが、この女の気性は自らの無責任を許さないって、そういう事なんだろうな。
俺としちゃ、取り敢えず動けとしか言い様が無い。香車は戦い勝って心を埋めようとしているんだろうが、他にも香車は色々出来るだろうって話でさ。例えばお前の力で可哀想な人質達を救い出すとかな。香車の頑張り次第で、無駄に命が消されるのを防げるかもしれない。考えてみりゃ、しょぼくさいバロール一匹倒す事なんぞに比べて、そっちの方がずっとスゲエ事なんじゃねぇのか。
香車が目を丸くして話を受け止めるのを脇に見、俺は投擲の構えに入った。で、少しばかり空気の流れを槍にイメージしてやる。800gの鉄の棒が、羽みたいに軽くなった。
助走をつけて、投擲。集中。明後日方向にすっ飛んだ槍を、勢い良く捻じ曲げる。更に集中。狙い違わず突き刺さる槍の姿をイメージ。到達。突き抜ける。突き抜けろ。突き抜けた。果たしてその通り、槍はバスケットゴールを突き破り、ついでに勢い余ってゴール板を叩き割り、盛大な音を立てて地面に落下させちまった。
ああ!と俺はビックリ顔。
「ああ…」
香車もビックリ顔。
「当たーりー」
ポンポンを振り回して飛び跳ねるボーリャ。
「お前ら、何やってんだ!?」
って誰?
うわ。懐中電灯持って校舎から走って来る姿は、ありゃ高校の用務員さんではないか。
俺達は大急ぎで遁走を開始した。香車はもう巻き込まれたとしか言い様が無い状況だが、用務員さんから見りゃコイツも仲間にしか見えんだろう。俺は必死こいて走る香車の晴れ姿に同情する。
「その槍は返さなくていいのですか!?」
と、走りながら香車の曰く。何言ってんだお前。俺が陸上競技用の馬鹿高い投げ槍を買うなんて、そんなもん壊れたダイナブックの修理費に全部消えてしもうたわ。
「それではまるで泥棒ではありませんか!」
人聞きの悪い事を。ただ俺は、大蛇退治の為に横浜高校陸上部から一時的に拝借するだけなのだ。人助けの為に使われるとなれば、きっと陸上部の少年少女も喜んで下さる。いや、どう考えてもそりゃ泥棒だよな。香車も俺達と組んだ事を今更後悔しているだろうが、最早手遅れもいいとこである。
「ヤスオ、大変であります!
もうすぐ午前2時でありますよ?」
それがどうした死体女。
「丑三つ時ではありませんか。急がないとオバケが出ます。オバケ超怖いです」
お前自体がオバケじゃねえか。いや、用務員さんにとっちゃ、俺ら全員オバケみたいなもんだろうな。槍を持ち逃げする裸の大将。ポンポン両手のチアリーダー。スーツ姿の大女。どういう取り合わせだ。本当、最後の最後に無茶なトリオが完成したもんだ。
無遠慮な言い方だが、対バロール戦が楽しみになってきたぜ。
<続>