格闘三昧

 

黒井秋彦

 


「実際の所はどうなんだい? 彼女に遅れを取る事ぁないって、分かってて引き受けたんだろう?」

「いや、オレは其処まで自信満々じゃない。オレと董子のレベルになりゃ、勝敗なんてものは運と不運の積み重ねみたいなもんでね。これに研鑽してきた努力が加味される。尤も、その努力って奴でオレは確実に勝っている」

「自信満々にしか聞こえないけどねぇ」

 ロシア、リューリク、寒空の下。軽口を叩き合うのは香車仙輔、彼の契約者のエレン・エレンジッタ。日が暮れた頃合の冷たい風に、肌を晒しながら胴着に着替える仙輔の姿は哀れだったが、深雪極まった鬼哭谷で冬を越えた身は然程堪えはしない。加えて、今の仙輔は黄金の朝だ。感覚が鈍磨した肉体は、寒さや暑さ、痛みへの耐性が普通の人間を凌駕する。しかし、自己鍛錬の成果を示す組み手には要らない異能でもある。

「それじゃ、一旦契約を切るぜ」

「馬鹿を見せたら再契約してやんないからね」

 鼻をツイと反らせたエレンの笑顔も取り敢えずの見納め。双方同意の上、契約解除。

 抑えられていたアナスタシア譲りの才能が開放され、体が軽くなった気がする。同時にくるくると色を変えていたエレンの目が、重い灰色の雲に陰る。彼女の手を引き、仙輔は試合の場へと向かった。

 一方、設えられたテントの中。

「え、一回も勝った事がないんですかー? あのマンベアーに?」

 袴を締め、羽織の前を合わせつつ言った香車董子の台詞を受け、クリス・スカイフィールドが目を丸くする。長らく行動を共にし、董子が体術を駆使する様を見てきたクリスには、少々信じ難い話だった。彼女が地に叩き伏せられた姿を、クリスは一回も目の当たりにしていない。

「あの人は私よりも年上で、私より鍛錬を多く積んでいます。それは武術において大きなアドバンテージになるのです」

「経験が物を言うって、何にでも同じ事が言えますケド。武術もそういうものですかー」

「そういうものですよ」

「じゃあ、負けるのを分かって董子は挑むノ?」

「私は次も負けるなんて一言も言っていません」

 董子は努めて冷静だったが、付き合いの長いクリスは彼女の声に幾分の猛りを感じた。それが自分に向けられたものではないとも承知している。董子の目はテントの隔たりを跨ぎ、爛々と潤みを湛えていたからだ。

董子の醸す緊張が伝播し、クリスの背筋がぞくりと震える。この感覚は好ましいものだった。不安と期待を綯い交ぜにした、野性を揺さ振られるような独特の高揚感。何だかクリスも燃えてきた。

「つまり骨を斬らせて肉を断つッ!」

「いえ、あの、逆ですから」

「董子は燃え尽きて真っ白な灰になるがいいでーす!」

「それは私に負けろとでも」

 行き違うテンションに右往左往しながら、二人はテントから表に出た。

 向かうのは組み手の場。相手は兄、香車仙輔。ほぼ一年振りの対戦である。

 

 双方、共にアナスタシアのロアド。一方は鬼哭谷で鍛錬を積んだ男。もう一方は野に出て転戦を繰り返した女。果たして自分達の修行に意義があったのかを問う意味で、仙輔・董子兄妹の組み手は鬼哭谷帰りの者達にとって非常に興味深い試合と映ったらしい。或いは宇宙船打ち上げ前の余興とでも思われたか。試合の場を囲む篝火の下、酒やつまみを勝手に持ち込み、好き勝手に騒ぐ野次馬達が、一体何処から集まったのか、その数およそ五十人近く。

「うわ、でっけぇ女」「さすが熊の妹」「顔が似てると言えば似てるかもなぁ」「お姉様系の人だよね。いいなあ」「俺はこっちを応援しよう」「トーコ・キョーシャに100ルーブル」

 黄色い声援と口笛に押され、董子は頬を引き攣らせつつも愛想良く控えめに手を振った。

「負けろ!」「くたばれ!」「ツンドラにキスしろ、熊野郎」「縫いぐるみ無しじゃ怖くて戦えないんじゃないでちゅか?」「エレンちゃんに助けてって言えばぁ?」「トーコ・キョーシャに100ルーブル」

 何故、オレだけが罵詈雑言。と、仙輔が青筋立てて抗議をするも、返ってきたのは押し潰さんばかりの悪口雑言。武術の才を持ちながら、ヒーロースーツだアウスターグだと防御を固めてきた報いか、或いは単に人望が無いのか。仙輔は気を取り直し、努めて笑顔で董子に問うた。

「どういう事か説明してもらおうか」

 董子が顔面蒼白になるのも無理は無い。何しろ組み手を持ちかけたのは彼女の方で、所謂言いだしっぺの立場である。久々に私達だけの一対一を。他の方々に邪魔される事なく。鬼哭谷の連戦から間を置かないリューリク行で疲れ果てた仙輔に、無理を言って誘った挙句の果てがこれだ。

 董子は恨めしげにクリスを見詰めた。何時の間にか客席の一角を陣取り、野次馬達と一緒になって嬌声を上げるその姿は、組み手の開催を触れ回った事が大変まずかった、などと微塵も思っていない。深く息をついて、董子は改めて仙輔を見据えた。

「外野など気になさらずとも良いでしょう。兄さんの修行は、この程度で心を乱すのだと?」

「いや、そういう事ぁないが」

「でしたら集中しましょう。私達だけの戦いに。何しろ私は、今日この時を千秋の思いで」

「レディース、アーンド、ジェントルメーン!」

 待っておりました…と続けようとした董子の声が、拡声器の大音量の前にか細くフェイドアウト。誰かと思えば、屠龍隼。司会進行担当。そんなものを頼んだ覚えはない。

「遠くロシアの寒空の下、何の因果か宇宙に飛ばされる皆々様の、意気軒昂を願って催されるこの前座、仙輔、董子、宿願の兄妹対決、只今もって試合開始の運びと致します!!

 ウラー!と湧き上がる拍手喝采。仙輔は馬鹿みたいに口を開け、董子は顔を真っ赤にして俯いた。そんな二人の気持ちに関係なく、隼の舞い上がったMCは続く。

「赤コーナー」

「赤コーナーなんてあったのか」

「身長206cm、体重106kg、“血に飢えた白い恋人”、センスケエ、キョオオオシャアア!」

 怒号と怒号が浴びせられる赤コーナーらしい場所で、仙輔は何が何だか分からないなりに、取り敢えず片手を上げて応えてみた。この男は根本的に、場を読む能力に欠けている。

「青コーナー、身長186cm、体重70s、“横浜のスケ番教師”、トオコオオ、キョオオオシャアア!」

 盛り上がる歓声を貰いながら不図思う。私は番なんか張っておりません、と。そろそろ董子も現実を認識する力が無くなりつつあった。

「実況は私、香車道場の元門下生、むさ苦しいリューリクに咲いた一輪の花こと屠龍隼。解説は鬼哭谷帰りの皆さんでお送りします。まずは鷹乃瞳さん、対戦する二人の特徴についてお聞かせ下さい」

「二人とも同じ道場の出身なのに、習った格技は全然違うのよね。仙輔は中国北派の形意拳。見た目は熊だけど、コンパクトムーヴと技巧に長けた手技が売りかしら。董子ちゃんは古流武術の香車千式。こっちは意外にパワー任せなのよ。一見無駄な動きが多いみたいだけど、その無駄が引っ掛けか本命か分かり難い。何しろ対照的な組み合わせってとこかな」

「成る程。クルト・シノブ・ツヅキさんは、武術としてはどちらに優劣があると思われますか」

「そうですね、あまり詳しくないのですが、技の多彩さでは香車千式ではないでしょうか。しかし洗練の度合いは形意の方が上でしょう。他流との対戦を幅広く重ねて、今の系統に至った武術でありますから。ともあれ優劣というのはつけ難いと思われます」

「何にせよ最強の格闘技なんて疑問は意味が無ぇよ」

「ほう、勝秀・ドゥダエフスキーさん、考えをお聞かせ願えますか?」

「格闘技は道具だ。道具の優劣なんざ、向き合う奴が強いか弱いか、そいつを味付けする調味料みたいなもんだ。簡単な話だよ。強い奴が強い。それだけだ」

「筋肉至上主義の見解、ありがとうございました。それでは本試合のレフェリー、具志堅湧子さんに進行上のルールについて御説明頂きます」

「えー、形式は無制限一本勝負なのだね。終了条件は、一方がギブアップするか続行不可能と当方が判断した場合。凶器禁止。過剰な追い討ち禁止。一般常識に沿った急所への攻撃禁止。特に香車董子は、きんたまへの攻撃禁止なのだね」

「『きんてき』です」

「それでは本試合のプロモーター、鬼瓦弾十郎先生の開催宣言を頂きたく思います。先生、どうぞ」

「目だ。目を狙え!」

「それじゃ両者、構えるのだね」

 長い長い前振りが終わった。放っておかれた格好の仙輔と董子は慌てて襟を正し、一礼してから各々の構えに入る。

 直立の姿勢から両腕を前に肩位置まで上げ、左掌を相手、右を丹田上に置き、腰を沈めて両足を前後に開く。所謂三体式を教科書通りに美しく構えた仙輔に対し、董子のそれは常軌を逸していた。

 体中の力を一旦抜かし、かろうじて足腰で支えるように見せる。両手はだらしなく下がり、指は弛緩し、首も据わり無く傾き、しかし視線だけは矢のように仙輔を射抜く。

「出た。ゾンビ殺法」

 董子がぎろりと目玉を動かした。今言ったのは誰だ。ソーニャ・プリセツカヤだ。睨みを受けて当のソーニャは首をブンブンと振り回し、隣で正座のまま櫂をこぐアーグニャを指差した。むごい。

後で千式の何たるかを小一時間教えて差し上げましょう。そう目で語って後、董子は再び仙輔に炯眼を戻した。無精髭は綺麗に剃られていたものの、髪は伸び放題、頬の肉が落ち、目が深く窪んだ流離人の様相を呈している。体が絞られ、全身に無駄が無くなったという印象だ。間違いなく以前より強い。董子の体に武者の震えが走る。

その感慨は仙輔にも同じくだった。以前の董子と比べて違いが顕著であったのは、彼女の顔つきだ。昔から厳しい性格だったが、今は緩い部分と戦の顔のメリハリが効いてきた、と思う。言い換えれば余裕が感じられるようになったのだが、恐らくは真の修羅場を知ったという事だろう。こうなると、董子は手強い。

深く呼吸をしてから、仙輔は第一歩を踏み出した。

「あら、仙輔の方から仕掛けるの?」

 瞳が少しだけ驚く。知っている限り、二人の組み手は董子が先攻する形で始まるのが常だった。同時に、騒々しかった場が嘘のように静まり返る。腕に覚えありの面々にも、此度は相応の興を呼ぶ一戦なのだろう。

 素足が地面を摺る僅かな音を響かせ、仙輔は滑るように一息で間を詰めた。董子はまだ微動だにしない。基本中の基本、劈の一撃を投下。同時に董子の右手が素早く上がる。拳を受け流し、二の腕を掴み、巻き込み、柳の如くしなった上半身が仙輔を引き寄せ、左肘を脇腹目掛けて叩き込む。が、既に位置を入れ替えた仙輔が、董子の拘束を跳ね上げて隙をこじ開ける。がら空きの側頭に横拳。深く沈んで避けた董子が更に横へ回り込み、合わせて仙輔が正面に対峙。董子が鈎手を固め、左右から怒涛の如く殴打。尽く流す仙輔の眼前で足裏が一閃。鼻一寸先で空振った踵落としから間を置かず、董子は即座に体を退いた。カウンターを予想した仙輔はそれ以上詰めない。一旦、両者は距離を置く。ここまでに至る時間、僅か5秒。

「速い。但しぬるい。小手調べありありときたもんだ」

 とは、マガツヒ・ダツマの言。

 実況担当の隼が絶句する。こうまで一瞬の打ち合いを展開されては、コメントを挟む暇が無い。ともあれ置物のように動かなくなった二人を横に見、隼は難しい顔の瞳に感想を聞いた。

「分かっていた事だけど、普通に仙輔の方が強いわね」

 回答はあっさりしたものだ。

「手数は董子ちゃんの方が多いけど、仙輔の見切り方は危なげないのよ。逆に仙輔のは一発の動作が緩慢だったわ。それに随分と威力を落としてる。最初の劈拳が本気だったら、流せずに勝負が決まっていたかもよ。当の本人が一番分かっているみたいだけど」

 瞳の言う通り、董子の顔は険しい。力量差を目の当たりにして忸怩たる思いであるのか、或いは相手の手心を悟った故の憤りか。

「それでは、董子さんに勝機は無いんですか?」

「そうとも言い切れない」

 寝転んだ格好で興味無さげだったレオン・グズィルノフが横から曰く。

「形意拳てのは打撃戦の体系が凄いんだけど、極め技なんてものは全く無いんだな。対抗する手段もやっぱり無い。もしあの女が組み付けるんなら、もしかしたら」

 レオンの言を合図にするかのように、今度は董子から動いた。

 左。右。左。と、体をふらふら揺らしながら、覚束ない足取りでゆっくり進む。格闘技の所作としては邪道もいい所だが、突如爆発的に間を詰めてくるこの歩法は一対一において脅威となる。

 二呼吸おいた間から、右に跳躍。仙輔が姿勢を合わせる直前、更に地を蹴って左に飛ぶ。僅かに対応が遅れた間を突き、着地したその場から足を払う。仙輔が一歩下がって避けるも、董子は地に伏した格好から両掌を地面に当て、力任せに押し放ち、有り得ない姿勢から飛び蹴りを浴びせた。かろうじて払い除けるも、姿勢が大きく崩壊。そして次の挙動に移る前には、董子が致命的な位置まで間を詰めていた。

 仙輔の左フック。掴み取る。右の手刀。二の腕で止める。股に足を差込み右腕を拘束し、後ろに捻って左の脇から腕を入れて首裏を押さえ込む。右足を己が両足で絡め取って、董子の関節技が完璧に極められた。上半身を仙輔の背に深々と貼り付け、お辞儀をするようにゆっくりと曲げて行くにつれ、仙輔の口から苦痛の声が漏れる。

「極められた!?」「はい、これで100ルーブルいただき」「何やっとんじゃ、あのタコスケは!」「それでも鬼哭谷帰りの男か!」

 負けろくたばれと口では言いつつも、そこは過酷な修行を生き延びた同士、外の女にあっさり負けるのは我慢ならない。というのも、複雑な修行者心と言うべきか。いずれにしても、勝って罵倒、負けて罵倒。悲惨な事この上ない。そして火に油を注ぐが如く、拡声器片手に隼が煽る煽る。

「完全に極まりました! これを引っくり返すのはさすがに厳しい! このままでは両肩の関節を破壊されるが必定! 危険であります、非常に危険であります! レッフェリーの具志堅さん、ギブアップの確認をお願い致します!」

「という訳で、ギブアップするのだね?」

 湧子に額を突付かれて、脂汗を滲ませつつ仙輔は、息も絶え絶えに口を開く。

「ギ」

 言うと同時に仙輔の体が更に折れ曲がった。ぐげごが、と言う。ギブアップではなく、ぐげごがである。これではギブアップ出来ない。と言うより、ギブアップさせて貰えない。湧子がひぃと息を呑んで後ず去る。董子の目が一段と吊り上り、口元に歪んだ笑みを浮かべていたからだ。

「か、過剰な追い討ちは禁止なのだがね」「やばい、董子ちゃんが切れた」「ええっと、こういう場合に司会進行はどうしたらいいんでしょうか」「肩ぁぶっ壊す気満々じゃねえか」「アウスターグに戻ったら体の治りも早いのでは?」「そういう問題じゃないでしょうが」

 ギャラリーが騒然となるのを脇に置き、董子は全く力を緩めず、体重を更に乗せて行く。

勝てる。初めて勝てると心が逸る。物心ついた頃から仙輔との組み手を始め、もう十数年。その間一度たりとも勝った事の無い男に、ようやく土をつけられる。しかもこのようにあっさりと。

 あっさりと?

 不図、董子は恐れを抱いた。母親にして現代に生きる妖怪、香車蒼怜による鬼の英才教育を凌ぎ切った男を、あっさりと破れるはずがない。気がつけば仙輔の乱れた呼吸が、静かに、一定の間を置き始めていた。練氣法の初歩段階。を爆発させる為の、最初の第一歩。

 唯一自由だった仙輔の左足が、董子を背負ったまま深く折れ曲がった。この拘束を外さなければ危ないと、董子の本能が危機を察するも、遅い。勢いをつけて跳躍。垂直方向。高さはおよそ2メートル。片足一本、おもり付き。

「万国ビックリショーか?」

 誰かが呟いたが、その通り。仙輔は背中から落下を開始した。つまり董子を下敷きにする格好で。この成り行きを前にして、董子の思考が真っ白になる。絡まった体は容易に外れるものではない。このままでは落下重量をまともに受ける。頭を打てば只事ではない。そう気付いて、董子の顔面が蒼白になった途端、彼女と仙輔の位置がグルリと入れ替わった。

 ぐしゃ、と際どい音を立て、仙輔が地面と水平に激突する。あたかもプールに腹打ちで飛び込んだかの如く。慌てて董子が飛び退り、直後仙輔も跳ね起きた。相当に痛い筈だが、そのような気配は微塵も無い。ただし顔面強打のおかげで鼻血が凄かった。鼻血で済んだのは仙輔だからと言うしかないが。

「ティッシュ無いか、ティッシュは」

 首裏を叩きつつ、仙輔が湧子に手を上げた。ポケットティッシュを渡し、湧子が問う。

「試合続行不可能を宣告したい所だけど、どうだろうね」

「正直顔を洗って、飯食って寝たい所だが、駄目だ。董子が納得しねぇ」

 鼻を拭ってズウと血を飲み込み、仙輔は再び三体式を作った。対する董子は、呆然と立ち尽くす。常軌を逸した運動能力で組み付きを外されたのもさることながら、自分が庇われた事について。

(まだ足りないのか、私は)

 そう繰り返し思うと、大量の血が頭に流れ込む錯覚を覚えた。気を使われ、労わられ、こうして戦わせて貰っている、という気がする。武術を学ぶ者として尊敬し、兄妹として愛しているが、それでも董子が仙輔を嫌う唯一の気性は、その控えめに親切な所だった。

 ハア!と董子が気を発する。寡黙に戦う彼女にしては珍しい。突進して懐に飛び込まんとする、その第一歩を董子が踏み出した途端、仙輔は既に目前まで詰めていた。

 反射的に鳩尾を掌で防いだのは正解。初手とは段違いの速度で崩拳が撃ち込まれる。受け止めたのは奇跡的だったが、それだけだ。掌から腹部、背中まで、過大な勁力が貫通する。

(あ、体が浮く)

 そう思った時には、董子の体は後方へ吹き飛ばされていた。二回、三回と地面をバウンドし、仰向けに転がされてようやく停止。それでも董子は即座に立ち上がった。威力を掌で相当食い止めた所以だが、全身に伝播したダメージはおびただしい。足が縺れる。視界が揺らぐ。握り締めた拳はともすれば緩む。

 それでも、今の董子には喜ばしい。ようやく仙輔の、本気の一撃を引き出せたからだ。そして自分は、それに耐え得る力を身に付けた。大丈夫。私には真の戦う気概が備わった、と。

 その姿は仙輔にも感慨深かった。以前の彼女なら避け得ぬ打撃であろうに、よくもここまで、と思う。改めて仙輔は敬意を表し、全力で迎え撃つべく居住まいを正した。

 が、不図目の端にきらりと光るものが映る。錯覚ではなかった。光るものは複数。それも動いている。

「何だ、あれは」

 呟いた仙輔の口に渾身のストレートが入る。続いて掌呈で顎を撃ち上げられ、腹に肘、胸部に鈎手の連打、側頭に手刀、勢いの乗った回し蹴りで止めを刺し、遂に董子は仙輔を地べたに昏倒させた。

「やった。やったわ!」

 董子が叫ぶ快哉と、爆音が轟くのはほとんど同時。

 継続的に響く轟音は、あからさまにリューリク基地周辺を狙っている。修行者達が飛び上がってどよめいた。

『娯楽は終わりだ! 十弓士どもが襲撃を仕掛けている! 各員、とっとと迎撃の準備をしろ!』

 警備担当のユージン・コワルスキーが放送をがなりたてる必要も無く、彼等はどんちゃん騒ぎから一転し、各々のすべき仕事に向かって行く。そしてそれは仙輔も同じく。

「ああ、痛かった」

 ガバと飛び起き、頭を摩る。董子は腰を砕きかけた。

「全然効いてないの!?

「この耐久力が鬼哭谷で一番鍛えられたとこなんだよ」

 可々と笑い、仙輔は身を翻した。が、立ち止まって振り返り、立ち竦む董子に曰く。

「連中を片付けたら、この続きはまた明日にしよう。今度は最初から全力で行くぜ」

 言うだけ言って、仙輔は走り去った。呆気に取られて見送る董子の顔が、少しずつだが綻んでゆく。やっと自分は同じ土俵に立ったのか、と思う。そしてこの位置に満足しては駄目なのだろう、とも。仙輔が走る先とは、また違う野に向かって、これからも自分は鍛錬を積んで行くのだ。

 が、間近にロケット弾が落着する状況下で、何時までも感慨に耽る暇は無い。董子は急ぎ、リューリク基地の防御へと戻って行った。

 

 尤も、この後に仙輔と董子の再戦は無かった。少なくとも一ヶ月以上先までは。ほとんど捨て身の十弓士による攻撃で、急遽宇宙船を発進させるまでに追い込まれたからだ。次に手を合わせる機会が何時になるのかは分からない。取り敢えず兄妹は、ここで再び一旦の袂を分かつ事になる。

 

<続>

 

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